人の幸せを喜べない自分が嫌。
そんな気持ちは誰もが味わったことがあるはずです。
嫉妬と羨望が入り混じった自己嫌悪は、幸せそうな相手との対比により余計にメンタルを削ってきますよね。
しかし、人の幸せを喜べないことは素直な反応でもあるので必要以上に自分を攻める必要はありません。
今回は人の幸せを喜べない自分が嫌になった時の対処法を考えてみました。
人の幸せを喜べない3つの理由
人の幸せを素直に喜べない心理の構造は非常にシンプル。
「相手の幸せ」を今の自分と比較することでモヤモヤした感情を生み出しているに過ぎません。
幸せな状態は誰にとってもピーク、そんな状態の人と比べれば誰だって見劣りするもの。
そんな状態をもう少し噛み砕いたシチュエーションで考えてみました。
①自分の人生が上手くいってないから
仕事、恋愛、人間関係。
自分の人生が上手くいっていないほど、人の幸せは眩しく映ります。
「それに比べて自分の人生はなんてパッとしないんだろう…」
光が強ければ強いほど、自己嫌悪の影は濃くなっていきます。
人の幸せを素直に喜べないのは、喜べるほどの余裕がないからなのです。
②置いてけぼりにされたように感じるから
人が大きな成功を収めたり、何かを成し遂げたり、幸せを手にした瞬間は喜ばしいこと。
しかし、その人が自分の手の届かない遠くに行ってしまったような寂しさ、置いてけぼりにされたような悲しさも少なからずあるものです。
彼氏なしや独身同士の友情では、置いてけぼりというよりは抜け駆けされたような複雑な心境になってしまいますよね。
実際に彼氏ができたり結婚したことで疎遠になる友情も少なくないようです。
③人の幸せが羨ましいから
誰だって漠然と幸せになりたいと思っています。
だから人の幸せは、自分とは何も関係ないし自分が幸せになれるわけでもなく、
ただ単純に羨ましいと思うだけなのかもしれません。
幸せそうな人を見ている自分は脇役で観客、そんな状態の自分を幸せだと思う人はいません。
ひねくれてる、性格が悪いと言われても羨ましいと思う気持ちはおかしい感情ではないと思います。
人の幸せを喜べない自分が嫌だと思った時の対処法
人の幸せを喜べないのは、そこに自分を加えて比較するような構図にしてしまうから。
それを意識してやめることができるならとっくにしています。
それができないから相手を羨ましい妬ましいと思ってしまうわけだし、そんな自分が嫌になってしまうのです。
しかし、その感情を無理に殺して人の幸せを喜ぶふりをするのは精神衛生上よくありません。
諸々の気持ちは受け止め方次第で自分を成長させる糧にもなるので、ありのままに見つめていくことが大切です。
素直な気持ちを大切にする
幸せそうな人が羨ましい。
幸せそうな人が妬ましい。
その気持ちを抑え込んではいけません。
なぜなら、羨ましいのも妬ましいのも、言い換えれば「自分も幸せになりたい」という気持ちに他ならないからです。
他人と比べるわけではなく、幸せになりたい気持ちを再確認させてくれている。
人の幸せを喜べない時は「自分も幸せになりたいんだなぁ」と思えば、自己嫌悪になることも減ると思います。
相手を攻撃したり陰口を言わない
人の幸せを喜べない人は、時に相手を攻撃したり陰口を言うことで溜飲を下げようとします。
「そんな幸せは大したことない」
「どうせ卑怯なことをして手に入れたんだろう」
「その幸せは運であって実力ではない」
こんな風にあの手この手で相手を卑下します。
しかし、人の幸せを攻撃したり価値のないものだと決めつけることは、自分自身の本当の欲求(自分も幸せになりたいという気持ち)すらも否定することになります。
相手を攻撃しているようでいて、一番ダメージを受けているのは自分自身。
寓話のような考え方ですが、これはガチだと思います。
自分も幸せを掴めるように努力する
分かっていることですが、実行するのは簡単ではない。
結局のところ、幸せになりたければ地道に努力し続けるしかないんですよね。
羨んでも、攻撃しても、素直に祝福しても、それはあくまで「相手の幸せ」に向けられた感情でしかありません。
大事なのはその感情をバネにして自分自身のエネルギーにできるかどうか。
ひとしきり羨んで嫉妬して精一杯お祝いしたら、今度は自分が頑張る番だと思ってやっていきたいものですね。
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