誰だって「勝ち組」になりたいと思うもの。
人より幸せになって、いい家に住んで、いい相手を見つけて、キラキラした毎日を送って…
しかし、私はどうしても「勝ち組」という言葉が好きにはなれません。
幸せになりたいのは誰だって同じ。
好きなもの食べて好きな国に旅行に行けたりできれば確かに最高です。
ただ、「そこに勝ちとか負けとか優劣の価値観を混ぜるなよ」といつも思うのです。
そんなわけで、今回は40代女性にとっての勝ち組、負け組について考えてみました。
40代女性でも勝ち組・負け組とか言ってる人は多い
10代の頃、私の周りには恋愛至上主義みたいな価値観がありました。
彼氏がいる=勝ち組みたいな風潮(どこにでもあるものなのかもしれませんが…)。
結局のところ、精神年齢がそこで止まってしまう人ってその後の人生もずっと勝ち負けの基準で生きてくんじゃないかと思いました。
それは何をしてもいちいち周囲にアピールして自分の優位性を確認したくなるということです。
住んでる土地、旦那の年収、子どもの有無、旅行先とか…
友達同士でマウントを取り合って、ステータスを比べている時の優越感で歪んだ笑顔。
他人に勝つということ、勝ち組と呼ばれること、勝ち組だと自覚することはたしかに快感かもしれません。
ただ、それってつまりは自分で幸せを自覚できないということ。
人と比べることでしか確認することのできない寂しい幸せなんだと思います。
自分がいる環境が幸せかどうかよりも、他人と比べてどうかを確認して感じる幸せ。
後者の幸せは幸せではなくて安心と優越感でしかありません。
「広い新居の庭でBBQしてます♪」という糞どうでもいい投稿にやられる
数年前のこと。
私の友達がSNS依存になってしまいました。
映えがどうとかお洒落な写真を投稿する側ではなく、友達の投稿が気になってずっと見てしまうタイプの依存ですね。
ある時、その友達が泣きながら私に連絡してきました。
数日前に「見てもいいこと一つもないのに、気になって見てしまう」と言っていたので、おそらくSNS絡みのことだろうと思っていたら案の定。
友達のFacebookを見てメンタルをやられてしまったとのことでした。
問題となった投稿を見せてもらうとなるほど。
その人は「これでもか」ってくらいにお洒落でスタイリッシュな生活を発信し続けています。
投稿者の旦那は医者(イケメン)、神奈川在住で住まいは庭付き一戸建て。
決め手となった投稿は爽やかなファミリー連中と集まってBBQをしている様子。
かたや私と友達は深夜のファミレスで山もりポテトを食べながら駄弁っている状態。
「悔しいし羨ましいぃ!」と言って泣きじゃくる友達を見て私は、
「よくそこまで感情移入して悔しがれるなぁ」と冷めていました。
同時にスネ夫に自慢されて悔しがるのび太くんの姿が重なってしまい、この時ほど自分のお腹に四次元ポケットがついていたらなぁと思ったことはありません。
勝ち組負け組って本当に変な価値観ですよね。
いわゆるな勝ち組をアピールしている人によって(当人にそんなつもりはないのかもしれないけど)、
今まで幸せに生活していた友達が「相対的に見たら自分は負け組なんだ」とショックを受けてしまっていたこと。
そして、平静を保ちながら私も少しだけやるせない気持ちになっていたこと。
「そんなの気にする必要ないよ、こっちには関係ないじゃん」と真っすぐに言えなかったこと。
無言で山もりポテトを食べたしょっぱい夜の思い出です。
40代独身女性の明日はどっちだ?
幸せの尺度を勝ち負けで測るのはくだらないこと。
本心からそう思っていてもなんだかんだでその価値観に凹まされたりイライラさせられたりするのは、少なからず負けを感じるような図星な心境があるからに違いありません。
私の場合は恋愛ブランクが非常に長かったこと、アラフォーにもなって結婚相手はおろか彼氏すらいなかったことが大きな劣等感となっていました。
一人は気楽だけど、一生そのままでいようと考えると流石に焦りは出てきます。
40過ぎてからの独身生活って思ってた以上に寂しいものなんですね。
本心を誤魔化しながら何も行動しないのって後悔すると思うし、それこそが本当の負け組のような気がしないでもありません。
コメント